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八幡製鉄事件(百選11事件)


八幡製鉄事件(最判昭和45・6・24、百選11事件)

 

[事実の概要]

 

原告は、八幡製鉄株式会社の株主、被告は、八幡製鉄株式会社の代表取締役である。

 

 

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これ・・・先生方への感謝の気持ちです。

今後ともよしなにお願いいたしますね?

 

 

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(自由民主党)

これはこれは、わざわざいつもすみません。

有難く頂いておきますね。

 

 

 

被告は、八幡製鉄株式会社の名において、自由民主党に対し、金350万円を寄付した。

 

原告は、八幡製鉄株式会社の株主であり、この寄付は法令・定款に反するものであるため、無効であり、この350万円は会社に返還されるべきであると考えていた。

そこで、原告は、(会社法上の手続に則り、)まず会社に対して、代表取締役たる被告の責任を追及する訴えを提起すべきことを請求したが、会社は訴えを提起しなかった。

 

そこで、原告は、出訴したのである。

(以上から明らかである通り、本訴は株主代表訴訟である。根拠条文は、当時は、商法267条、現在では、会社法847条1項である。)

 

 

[裁判上の主張]

 

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被告は、八幡製鉄株式会社に対し、連帯して、350万円及び遅延損害金を支払え!

 

 

 

原告の主張の根拠は、取締役等の責任に関する規定(当時は、商法266条1項5号、現在423条1項)により、取締役に損害賠償責任が発生しているというものであるが、

 

その理由は、大きく分けて2つであった。

 

①     定款違反

 

本件寄付行為は、定款2条1項「本会社は鉄鋼の製造及び販売並びにこれに附帯する事業を営むことを目的とする」の範囲外の行為であるから定款に違反する行為である

 

②     法令違反(忠実義務違反)

 

取締役の忠実義務の規定(当時は、商法254条の2、現在会社法355条)に違反する行為である

 

・・・というものである。

 

なお、現在では、会社法423条より、「任務を怠った」行為が取締役の責任の対象となっているが、当時は、商法266条1項5号より、「法令又は定款に違反する行為」が取締役の責任の対象となっていたため、この主張はそれに沿った主張なのである。

 

 

[訴訟の経過]

 

第1審判決(東京地判昭和38・4・5):請求全部認容

 

控訴審判決(東京高判昭和41・1・31):第1審判決取消し、請求棄却

 

 

第1審判決は、「①定款違反」であるか否かについて、独特の論理を展開した。

 

すなわち、過去の判例は、「事業目的の範囲内の行為とは、目的を直接に遂行する行為及び定款の記載自体から観察して客観的抽象的に目的遂行上必要であり得る行為」をいうとしてきた。この基準は無論踏襲すべきである。

ただし、これらは全て何らかの取引行為が問題となった際に判示されたものであり、この判例の射程は取引行為にしか及ばない

およそ全ての行為は、取引行為か非取引行為かに分けられるが、(寄付のような)非取引行為は、会社財産をただ失うだけであり、本来的に会社の営利性に反するため、基本的にはあらゆる種類の事業目的の範囲外にあると結論づけているのである。

そして、「②法令違反(忠実義務違反)」についても、定款違反行為をなしているのであれば、直ちに忠実義務違反である上、およそ非取引行為をなす場合は、資本充実義務にも反しているから、結局忠実義務違反である・・・と判断したのである。

 

 

他方、控訴審は、会社も社会的構成単位として、寄付行為をする権利能力があり、合理的な限度の寄付行為は、定款違反でもなければ、忠実義務にもならないと判断し、一審判決をひっくり返した。

 

この結論の差は、会社を営利法人である側面を強調するか、それのみならず会社は社会的実在であるという側面を強調するかの違いに起因している。

 

控訴審において敗北した原告側は、①定款違反、②法令違反(忠実義務違反)に加えて、

 

③     法令違反(民法90条違反)

 

・・・の主張を追加した。これは、株式会社の政治資金の寄附が、自然人である国民にのみ参政権を認めた憲法に反し、したがって、民法90条という一般条項に反する行為であるという主張である。

 

 

[判示内容]

 

 

主   文

 

 

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

 

 

理   由

 

 

(1)定款違反の点

 

まず、

 

「会社は定款に定められた目的の範囲内において権利能力を有するわけであるが、目的の範囲内の行為とは、定款に明示された目的自体に限局されるものではなく、その目的を遂行するうえに直接または間接に必要な行為であれば、すべてこれに包含されるものと解するのを相当とする。そして必要なりや否やは、当該行為が目的遂行上現実に必要であつたかどうかをもつてこれを決すべきではなく、行為の客観的な性質に即し、抽象的に判断されなければならないのである」

 

・・・という一貫した判例の立場を本判決でも踏襲した。

 

その上で、控訴審と基本的には同様の立場に立ち、

 

会社は社会的実在として、必要な社会的作用を負担するための権利能力は有するものと言わなくてはならない。会社が、その社会的役割を果たすために相当な程度のかかる出捐をすることは、社会通念上、会社としてむしろ当然のことに属するからである。

 

そして、相当な程度の出捐には、災害救済資金の寄付や地域社会への奉仕のみならず、政党への寄付も含まれる。何故なら、政党は議会制民主主義を支える不可欠の要素であり、その健全な発展に協力することは、会社に対しても、社会的実在としての当然の行為として期待されるところであり、協力の一態様として政治資金の寄附についても例外ではないといえるからである。

 

・・・という論理展開をして、

 

「要するに、会社による政治資金の寄附は、客観的、抽象的に観察して、会社の社会的役割を果たすためになされたものと認められるかぎりにおいては、会社の定款所定の目的の範囲内の行為であるとするに妨げないのである。」

 

・・・として、本件政治資金の寄付が、定款の目的の範囲内の行為であったと結論づけた。

 

 

(2)法令違反(民法90条違反)の点

 

「憲法上の選挙権その他のいわゆる参政権が自然人たる国民にのみ認められたものであることは、所論のとおりである。しかし、会社が、納税の義務を有し自然人たる国民とひとしく国税等の負担に任ずるものである以上、納税者たる立場において、国や地方公共団体の施策に対し、意見の表明その他の行動に出たとしても、これを禁圧すべき理由はない。のみならず、憲法第三章に定める国民の権利および義務の各条項は、性質上可能なかぎり、内国の法人にも適用されるものと解すべきであるから、会社は、自然人たる国民と同様、国や政党の特定の政策を支持、推進しまたは反対するなどの政治的行為をなす自由を有するのである。政治資金の寄附もまさにその自由の一環であり、会社によってそれがなされた場合、政治の動向に影響を与えることがあつたとしても、これを自然人たる国民による寄附と別異に扱うべき憲法上の要請があるものではない。」

 

・・・とした上、企業が献金しまくったら、金権政治になってしまうという原告の主張に対して、このような弊害への対処は、立法政策にまつべきことであって、憲法上は、公共の福祉に反しない限りにおいて企業は政治資金の寄付の自由を有するとし、民法90条違反の主張を斥けている。

 

 

(3)法令違反(忠実義務違反)の点

 

「忠実義務違反を主張する場合にあっても、その挙証責任がその主張者の負担に帰すべきことは、一般の義務違反の場合におけると同様であると解すべきところ、原審における上告人の主張は、一般に、政治資金の寄附は定款に違反しかつ公序を紊すものであるとなし、したがって、その支出に任じた被上告人らは忠実義務に違反するものであるというにとどまるのであって、被上告人らの具体的行為を云々するものではない。もとより上告人はその点につき何ら立証するところがないのである。」

 

・・・と指摘し、

 

「取締役が会社を代表して政治資金の寄附をなすにあたっては、その会社の規模、経営実績その他社会的経済的地位および寄附の相手方など諸般の事情を考慮して、合理的な範囲内において、その金額等を決すべきであり、右の範囲を越え、不相応な寄附をなすがごときは取締役の忠実義務に違反するというべきであるが、原審の確定した事実に即して判断するとき、D製鉄株式会社の資本金その他所論の当時における純利益、株主配当金等の額を考慮にいれても、本件寄附が、右の合理的な範囲を越えたものとすることはできないのである。」

 

・・・と結論づけている。

つまりは、原告(上告人)側は、350万円が何故不相応な額なのかという点を全く主張・立証しなかったため、挙証責任の所在は原告にあるのだから、(客観的な額とかだけを見れば相当と言えるし、)原告の負け~と言われちゃっているわけである。

 

以上より、主文のとおり、上告棄却で原告敗訴という結論になったわけである。

 

[コメント&他サイト紹介]

 

判示内容の(3)なんて、原告(上告人)側の代理人弁護士は、相当凹んだのではないでしょうか。もう挽回の余地のない最高裁で、あなた方の主張・立証が足りなかったと明言されたのですから。

 

他サイト様紹介ですが、

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/00-34/nakajima.htm

この立命館大学の中島教授のミニ論文は、かなり分かりやすいと思います。最高裁判決の論理を、丁寧に検討されている部分は特に必見だと思います。

「このようにして、最高裁が、「目的の範囲」条項につき、従来の判例で展開してきた私法上の取引行為に関する事例を踏み越えて、個人の政治的自由や市民の参政権的権利にかかわる事例にも拡大適用した限りで、会社のなす行為は原則としてすべて会社の目的の範囲内に属するという立場を明らかにしたものというべく、ここにおいて「目的の範囲」条項=権利能力論は、民法・商法学上、「形骸化」ないし「有名無実化」し、判例自体によって「実質的上廃棄されたに等しい」と評されるにいたっており、憲法学上の観点から見ても、法人の享有しうる「人権」の範囲を画定する枠組みとしては完全に破綻したものと見なしてよいであろう。」

 

・・・この記載により、私の上述の説明の不正確さを知りました。なるほど、第一審判決が取引行為と非取引行為を分けた論法は独特でもなんでもなく、通常の感覚だったのですね。そして、最高裁判決が、それを拡大した、とこのように捉えるべきだったのですね。勉強になりますね。

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