誤振込み(最決平成15・3・12、百選(第6版)49事件、百選(第7版)51事件)
[事実の概要]
税理士であるAは,被告人を含む顧問先からの税理士顧問料等の取立てを,集金事務代行業者であるB株式会社に委託していた。
同社は,上記顧問先の預金口座から自動引き落としの方法で顧問料等を集金した上,これを一括してAが指定した預金口座に振込送金していたが,Aの妻が上記振込送金先を株式会社C銀行D支店の被告人名義の普通預金口座に変更する旨の届出を誤ってしたため,上記Bでは,これに基づき,平成7年4月21日,集金した顧問料等合計75万0031円を同口座に振り込んだ。
被告人は,通帳の記載から,入金される予定のない上記Bからの誤った振込みがあったことを知ったが,これを自己の借金の返済に充てようと考え,同月25日,上記支店において,窓口係員に対し,誤った振込みがあった旨を告げることなく,その時点で残高が92万円余りとなっていた預金のうち88万円の払戻しを請求し,同係員から即時に現金88万円の交付を受けた。
※被告人は、歯科医師業を営んでおり、税務申告等に関して、税理士であるAと顧問契約を結んでいたところ、被告人は多額の借金を抱えるに至り、被告人の預金口座が残高不足により引き落とし不能となった。そこで、顧問料等の取り立てを継続するために、再度被告人の預金口座につき自動引き落としの手続を取り直す必要が生じた。そのため、Aは妻に指示してB社宛に、被告人から受領した新たな自動支払申込書を送ったのだが、その際、Aの妻が誤って、振込送金先を被告人の口座に変更する旨の委託内容変更届をも作成して、自動支払申込書と一緒にB社に送ってしまった・・・というのが、誤振込みがなされた詳細な事実です。
※最高裁の事実の引用や、百選解説の事実の概要には、この上記※部分は載っていないのですが、この事実の有無で、だいぶ被告人及び被害者に対する印象が異なりますよね。
[裁判上の主張]
検察側は、
被告人の行為は、詐欺罪(刑法246条)にあたると主張した。
弁護側は、
被告人の所為は、詐欺罪の客観的構成要件に該当しない
(預金の払戻しは、被告人と銀行との間で有効に成立した預金契約に基づくものであって、何ら欺罔行為にはあたらず、銀行も有効な払戻しをなしたにすぎず、錯誤はない。また、C銀行D支店の窓口受付係は、財産上の被害者であるB社の財産である本件振込金を処分し得る権能も地位もないため、騙取とはいえない)
・・・と主張した。
[訴訟経過]
第1審判決(大阪地判平成9・10・27):
被告人を懲役一年に処する。
この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
控訴審判決(大阪高判平成10・3・18):本件控訴を棄却する
第1審判決は、
弁護側の主張(=詐欺の客観的構成要件に該当しない)に対して、
「振込みがなされたのは、本来受取人となるべきAが、その妻の手違いによりB社に対する委託の内容として振込先を同口座に指定変更したからにほかならず、右振込み自体は有効になされたものとして、振込金相当額が被告人の銀行に対して有する普通預金債権の一部となるものと解さざるを得ない。」
「しかしながら、他方、右のごとき形式的手違いによる明白な誤振込みの場合、当該振込みに係る金員が最終的に誤って指定された受取人に帰属すべきものでないことは明らかである上、関係証拠によれば、銀行実務上は、このような場合、振込依頼人からの申し出があれば、たとえ入金処理の後であっても、受取人の承諾を得た上で、その入金を取消し,振込依頼前の状態に戻す「組戻し」という手続きが行われていること、また、受取人の側から誤振込みである旨の指摘があったときにも、その振込みにつき振込依頼人に照会するなどして右同様の復元的措置が講じられるのであって、銀行として決して漫然と預金払戻しに応じるものではないことがそれぞれ認められる。」
「してみれば、たとえ普通預金債権を有する口座名義人といえども、誤振込みであることを認識した以上、自己の預金に組み込まれている当該振込金相当額を引き出し現金化することは、銀行取引の信義則からして許されない行為というべきであり、したがって、対外的法律関係の処理はともかく、少なくとも、対銀行との関係でみるかぎり、右誤振込みの金額部分にまで及ぶ預金の払戻しを受ける正当な権限は有しないものと解するのが相当である。」
「そして、前示のとおり、銀行においても、口座名義人から右のような事情の存することを告げられれば、漫然と預金払戻しに応じないのであるから、結局、口座名義人がその情を秘し通常の正当な預金払戻しであるかのように装って同払戻し請求を行うことは、銀行の係員を錯誤に陥らせる違法な欺罔行為に当たるというべきであり、また、その違法性は、右一個の欺罔行為により払い戻された金員の全額に及ぶものというべきである。」
「右のような理由から、当裁判所は、被告人がした本件預金払戻し請求が全体として違法な欺罔行為に該当するものと認め、判示のとおり、その払戻しを受けた88万円の全額につき詐欺罪の成立を肯定した次第である。弁護人の主張は採用することができない。」
・・・と弁護側の主張を斥けた。
控訴審判決は、
上記弁護側の主張に基づく控訴理由に対し、
「本件のような振込依頼人による誤振込であっても、振込自体は有効であって、振込先である預金口座の開設者においては、当該銀行に対し有効に預金債権を取得すると解されており(最判平成8・4・26)、したがって、誤振込による入金の払戻をしても、銀行との間では有効な払戻となり、民事上は、そこには何ら問題は生じない(後は、振込依頼人との間で不当利得返還の問題が残るだけである。)のであるが、刑法上の問題は別である。」
「すなわち、原判決が(争点に対する判断)で説示するとおり、振込依頼人から仕向銀行を通じて誤振込であるとの申し出があれば、組戻しをし、また、振込先の受取人の方から誤振込であるとの申し出があれば、被仕向銀行を通じて振込依頼人に照会するなどの事後措置をすることになっている銀行実務や、払戻に応じた場合、銀行として、そのことで法律上責任を問われないにせよ、振込依頼人と受取人との間での紛争に事実上巻き込まれるおそれがあることなどに照らすと、払戻請求を受けた銀行としては、当該預金が誤振込による入金であるということは看過できない事柄というべきであり、誤振込の存在を秘して入金の払戻を行うことは詐欺罪の「欺罔行為」に、また銀行側のこの点の錯誤は同罪の「錯誤」に該当する」
「預金名義人を装って預金の払戻をした場合に、財産上の被害者を預金名義人ではなく払戻に応じた銀行であるとみる典型的なケースとで別異に解さなくてはならないような事情はなく、本件を端的にみれば、法律上(形式上)預金債権を有する者の請求に応じて払戻をした銀行が財産上の被害者であると解するのが相当である。」
・・・として、第1審判決とほぼ同じ理屈で弁護側の主張を斥けた。
[判示内容]
主 文
本件上告を棄却する。
理 由
「本件において,振込依頼人と受取人である被告人との間に振込みの原因となる法律関係は存在しないが,このような振込みであっても,受取人である被告人と振込先の銀行との間に振込金額相当の普通預金契約が成立し,被告人は,銀行に対し,上記金額相当の普通預金債権を取得する(最高裁平成8・4・26)」
「しかし他方,記録によれば,銀行実務では,振込先の口座を誤って振込依頼をした振込依頼人からの申出があれば,受取人の預金口座への入金処理が完了している場合であっても,受取人の承諾を得て振込依頼前の状態に戻す,組戻しという手続が執られている。また,受取人から誤った振込みがある旨の指摘があった場合にも,自行の入金処理に誤りがなかったかどうかを確認する一方,振込依頼先の銀行及び同銀行を通じて振込依頼人に対し,当該振込みの過誤の有無に関する照会を行うなどの措置が講じられている。」
「これらの措置は,普通預金規定,振込規定等の趣旨に沿った取扱いであり,安全な振込送金制度を維持するために有益なものである上,銀行が振込依頼人と受取人との紛争に巻き込まれないためにも必要なものということができる。また,振込依頼人,受取人等関係者間での無用な紛争の発生を防止するという観点から,社会的にも有意義なものである。したがって,銀行にとって,払戻請求を受けた預金が誤った振込みによるものか否かは,直ちにその支払に応ずるか否かを決する上で重要な事柄であるといわなければならない。」
「これを受取人の立場から見れば,受取人においても,銀行との間で普通預金取引契約に基づき継続的な預金取引を行っている者として,自己の口座に誤った振込みがあることを知った場合には,銀行に上記の措置を講じさせるため,誤った振込みがあった旨を銀行に告知すべき信義則上の義務があると解される。」
「そうすると,【要旨】誤った振込みがあることを知った受取人が,その情を秘して預金の払戻しを請求することは,詐欺罪の欺罔行為に当たり,また,誤った振込みの有無に関する錯誤は同罪の錯誤に当たるというべきであるから,錯誤に陥った銀行窓口係員から受取人が預金の払戻しを受けた場合には,詐欺罪が成立する。」
「前記の事実関係によれば,被告人は,自己の預金口座に誤った振込みがあったことを知りながら,これを銀行窓口係員に告げることなく預金の払戻しを請求し,同係員から,直ちに現金の交付を受けたことが認められるのであるから,被告人に詐欺罪が成立することは明らかであり,これと同旨の見解の下に詐欺罪の成立を認めた原判決の判断は,正当である。」
[コメント&他サイト紹介]
誤振込みについては、組戻しや、振込依頼人への照会手続があり、誤振込みに対して銀行は紛争に巻き込まれない事等強い利害関係を有するがゆえに、受取人には、信義則上の告知義務がある・・・という点は、意外と皆覚えているはずです。
この事案を分析する際に、勝敗の分かれ目となるのは、平成8年の民事判例が、誤振込みであっても受取人と銀行との間に振込金額相当の普通預金契約が成立し、受取人が銀行に対して振込金額相当の普通預金債権を取得する事を認めているため、素直に考えると、払戻しに違法性は認められないっぽいぞ、という議論の出発点についてきちんと触れられているか否かであると思います。
あと、組戻しや照会システムがある事は、銀行が紛争に巻き込まれないためのものであり、銀行が誤振込みに強い利害関係を有する事を導きますよね。もっとも、その銀行の都合が直ちに受取人に責任転化されるのはおかしいです。そこで、判例は、「銀行との間で普通預金取引契約に基づき継続的な預金取引を行っている」事を理由に責任の転化を認めています。意外とこの点は、論証等する際、落としがちなのではないでしょうか。
でも、考えてみると、受取人の義務である告知義務を基礎づける最も直接的な理由は、この「銀行との継続的取引」ですので、これは落としてはいけない部分だと思います。私見ですけれどね。
この「継続的取引」だから、信頼関係が重要という発想は主に民事でよく使いますよね。継続的契約関係論というやつです。賃貸借契約において、信頼関係破壊の法理を導出する理屈として使われるのが、最もポピュラーですよね。
これと似たような発想がこの最高裁判決から読み取れる気がします。継続的取引だからお互いの信頼関係が大事だし、それは法的保護の対象となるレベルまで密度が高まっているよね、だから信義則上の告知義務を認めるね、というような発想です。何度も申しますが、ソースのない私見ですけれどね。
他サイト様としましては、
立命館大学の、松宮教授のミニ論文である
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/96-5/matumiya.htm
・・・これは、勉強になりますね。ご自分を「薄給のサラリーマン」と称しておられる点については、ニュース番組の「・・・などと意味不明なことを言っており・・・」というフレーズが浮かびましたが。