暴行によらない傷害(最決平成17・3・29、百選(第6版)5事件、百選(第7版)6事件)
[事実の概要]
被告人と被害者は、隣人同士である。
被告人は,被害者の子供がキャッチボール中被告人の使用する自動車にボールを当ててしまったこと等を契機に,被害者との間で確執が生じた。
平成12年には,被害者の家族を中傷して名誉毀損罪で刑事告訴されて逮捕勾留されたところ,この件で起訴猶予処分になり,釈放された直後からラジオ音声を鳴らすようになり,さらにこの行為をエスカレートさせてきた。
そして、被告人は,平成14年6月ころから平成15年12月3日ころまでの間,奈良市の自宅から隣家に居住するAらに向けて,
連日朝から深夜午前1時ころないしは午前4時ころまでラジオの音声及び目覚まし時計のアラーム音を大音量で鳴らし続ける等して,同人に精神的ストレスを与え,よって,同人に全治不詳の慢性頭痛症,睡眠障害,耳鳴り症の傷害を負わせた。
[裁判上の主張]
弁護側は、
① ラジオの音声や時計のアラーム音を鳴らす行為は、暴行罪における暴行にも傷害罪の実行行為にも当たらない
② 被告人には暴行の故意のみならず、傷害の故意もない
・・・とし、傷害罪の不成立を主張した。
[訴訟経過]
第1審判決(奈良地判平成16・4・9):被告人を懲役1年に処する
控訴審判決(大阪高判平成16・9・9):控訴棄却
第1審判決は、認定の仕方がとても参考になるため、詳しくみていく。
(1)主張①(被告人の行為の構成要件該当性)について
(1-1)被告人の行為
まず、被告人の行為が、被害者にどの程度の影響を与えているのかを客観的に詳しく分析している。
警察官が被害者宅における騒音を測定したところ、
「被告人方敷地の境界から約1メートル離れた被害者方家屋東側軒下において最大値が79.1デシベル及び79.3デシベル,平均値が70.2デシベル及び70デシベル,被告人方の方向に開口部のある被害者方1階台所において,窓ガラスを開放した状態で,最大値が66.3デシベル及び70.9デシベル,平均値が56.6デシベル及び61.7デシベル,窓ガラスを閉じた状態で,最大値が59.6デシベル及び63.2デシベル,平均値が51.2デシベル及び49.7デシベル」・・・といった具合である。
そして、一般的に、
「騒音は80デシベルで地下鉄や電車の車内に,70デシベルで電話のベル,騒々しい事務所の中や街頭に,60デシベルでも静かな乗用車や普通の会話に匹敵するものである」
「中央環境審議会答申の屋内指針では,一般地域で昼間については,会話影響に関する知見を踏まえて45デシベル以下,夜間については,睡眠影響に関する知見を踏まえて35デシベル以下とすることが適当と考えられている」
・・・として、判断材料を揃えた。
(1-2)被告人の行為は「暴行」にあたるか
「傷害罪の実行行為としての暴行は,暴行罪におけるそれと同義で,人の身体に対する物理的な有形力の行使であるところ,上記認定事実によっても,被告人の発する騒音の程度が被害者の身体に物理的な影響を与えるものとまではいえないから,被告人の上記行為は暴行にはあたらない」
・・・これは、つまり、耳元で大声で叫んだような場合(大阪地判昭和42・5・13)のように、騒音が物理的振動として人の鼓膜に直接に不法の攻撃力として作用したような場合ならともかく、今回の騒音は、最大値でも地下鉄の車内程度であるから、暴行とはいえないということである。
(1-3)被告人の行為は、傷害罪の実行行為にあたるか
「傷害罪の実行行為は,人の生理的機能を害する現実的危険性があると社会通念上評価される行為であって,そのような生理的機能を害する手段については限定がなく,物理的有形力の行使のみならず無形的方法によることも含むと解されるところ,関係証拠によれば,長時間にわたって過大な音や不快な音を聞かされ続けると精神的ストレスが生じ,過度な精神的ストレスが脳や自律神経に悪影響を与えて,頭痛や睡眠障害,耳鳴り症といった様々な症状が出現することが認められ,このような事実によれば,騒音を発する行為も傷害罪の実行行為たりうる」
「被告人が被害者に向けて騒音を流し続けた期間が約1年6か月もの長期間にわたっていること,1回の時間帯も朝から深夜までの長時間で,通常人が就寝している深夜にまで及んでいること,騒音の程度も被害者方敷地はもとより屋内でも窓を開放した状態では,最大値は地下鉄や電車の車内あるいは騒々しい事務所の中や街頭並み等であり,平均値でも上記条例や指針の基準を大幅に上回り,窓を閉めた状態でも最大値は静かな乗用車や普通の会話並み等で上記基準を超えており,平均値でもこの基準を超えるかほぼ同じ程度であること等に照らすと,被告人の上記行為は,被害者に対して精神的ストレスを生じさせ,さらには睡眠障害,耳鳴り,頭痛等の症状を生じさせる現実的危険性のある行為と十分評価できるから,傷害罪の実行行為にあたる」
・・・と認定している。
※一応説明しておくと、傷害罪には、暴行罪の結果的加重犯としての側面と、故意犯としての側面があり、(1-2)で前者の側面、(1-3)で後者の側面から、傷害罪の成否を検討しているわけである。そして、今回の事例では否定されたが、仮に(1-2)で暴行が認められた場合は、(判例の立場からは結果的加重犯の成立に過失は不要であるため)、次の(2)で故意や過失を考慮することなく、被害者の傷害結果発生に争いはないため、(被告人が因果関係を新たに争わない限り)直ちに傷害罪が成立することになる。
(2)主張②(被告人の故意)について
「被告人は,家族が不快に思い,近所迷惑になると考えてラジオの音量を下げたり,時計のアラーム音を止めたりしても,家族に暴力を振るう等してこれを止めようとせず,警察官から上記騒音測定の際に,インターホンを通して,あるいはハンドマイクを使ってラジオの音声や目覚まし時計のアラーム音を止めるよう警告されてもこれに応じようとしなかった上,平成15年11月21日には被告人の判示の行為が被害者に対する傷害にあたるとの被疑事実で家宅捜索を受けて上記ラジオや目覚まし時計を押収されたのに,新たにラジオカセットレコーダーや複数の目覚まし時計を用意して従前と同様に騒音を発し続けていたこと」
そして、事実の概要にも記載した通り、怨恨が動機であり、「このような被告人の本件行為の態様,これに対する家族や警察官の警告等の状況,被告人と被害者との確執の状況等に照らすと,被告人が騒音を発して被害者を困惑させる意図のもとに判示の行為に及んだことは明らか」・・・としている。
その上で、
「判示のような騒音を発する行為は,これを受けた人にとって相当大きな精神的負担となり,これが継続されれば精神的ストレスにより様々な心身の疾患を生じさせることは社会通念上顕著であって,これをも併せて考えると,被告人は,少なくとも,判示のとおり被害者が精神的ストレスを負ってその身体に障害が生じる可能性があることを認識しつつ,あえて判示行為に及んだと認めるのが相当であり,被告人には被害者に対する傷害罪の未必的故意があった」・・・と結論付けている。
[判示内容]
主 文
本件上告を棄却する。
当審における未決勾留日数中70日を本刑に算入する。
理 由
「原判決の是認する第1審判決の認定によれば,被告人は,自宅の中で隣家に最も近い位置にある台所の隣家に面した窓の一部を開け,窓際及びその付近にラジオ及び複数の目覚まし時計を置き,約1年半の間にわたり,隣家の被害者らに向けて,精神的ストレスによる障害を生じさせるかもしれないことを認識しながら,連日朝から深夜ないし翌未明まで,上記ラジオの音声及び目覚まし時計のアラーム音を大音量で鳴らし続けるなどして,同人に精神的ストレスを与え,よって,同人に全治不詳の慢性頭痛症,睡眠障害,耳鳴り症の傷害を負わせたというのである。以上のような事実関係の下において,被告人の行為が傷害罪の実行行為に当たるとして,同罪の成立を認めた原判断は正当である」
[コメント&他サイト紹介]
判示内容は、それだけ見ても何の役にも立ちません。暴行によらない傷害罪を最高裁が認めたっぽいという結論にのみ意味があるため、判示内容に注目すべきフレーズは何もないからです。第1審判決の方がずっと参考になるはずです。
ちなみに、江口先生の重要なご指摘としましては、本件を含めた暴行によらない傷害が問題となる事案においては、「個々の行為自体を取り上げれば傷害罪の実行行為性を認めることができるか疑問と思われるものであるが、いずれの判断においても一連の行為を全体としてとらえて実行行為性を認めている」というものです。
傷害罪には、(暴行罪を除いて)未遂処罰規定がありませんから、傷害の実行行為というものをさらっと流しがちですが、暴行によらない傷害の場合には、「一連の行為を全体として」、生理的機能障害惹起の現実的危険性の有無を判断して、実行行為性を考えているということについて(特に論証する場合には、)意識的である必要があるようです。
他サイト様としては、布野貴史弁護士が書いておられる
http://park.geocities.jp/funotch/keiho/kakuron/kojinhoueki3/27/204.html
・・・このページが傷害罪の諸論点を概観するには分かりやすいはずです。