包括一罪か併合罪か(最決昭和62・2・23、百選(第6版)101事件、百選(第7版)100事件)
【事実の概要】
(1) 被告人は、昭和50年7月8日堺簡易裁判所において窃盗罪により懲役1年4か月に、
同52年3月29日大阪地方裁判所において窃盗罪等により懲役2年に、
同53年5月11日(同53年5月26日確定)羽曳野簡易裁判所において窃盗罪等により懲役1年6カ月及び同10か月に、
同56年12月23日(同57年1月7日確定)大阪地方裁判所において常習累犯窃盗罪により懲役3年6カ月に処せられ、いずれもそのころ右各刑の執行を受け終ったものであるが、
(2) 更に常習として、同60年5月3日午前3時ころ、大阪市住吉区所在の吉兆すし店において、同店経営者A所有の現金約10万7000円を窃取した。
※ 「そのころ右各刑の執行を受け終わった」という文の、「そのころ」とは「昭和60年5月3日頃」を指しているはずです。「昭和57年1月+3年6カ月=昭和60年7月」ですが、被告人は、昭和60年4月18日に仮出獄したようで、その半月後に今回の犯行に及んだようです。この点はしっかりと、「窃盗の常習性が強度」という形で高裁に認定されています。
(3) ところが、他方、被告人は、正当な理由がないのに、前記現金窃取行為後である昭和60年5月30日午前2時20分ころ、大阪府阿倍野区松崎町三丁目二番常盤公園内において、他人の建物に侵入するのに使用されるような器具であるペンライト一本、金槌一本を上衣ジャンパーポケット内に隠して携帯していたという軽犯罪法1条3号違反罪(侵入具携帯罪)により、昭和60年7月18日大阪簡易裁判所において拘留20日に処せられ、同裁判は控訴期間の経過により同年8月2日既に確定していた。
(4) なお、本件公訴事実に係る窃盗行為が被告人の犯行であることは前記確定判決に係る侵入具携帯行為前である昭和60年5月21日既に大阪府住吉警察署に判明しており、その翌日ころ被告人に対する右窃盗行為を被疑事実とする逮捕状も発布されて、被告人につきいわゆる指名手配がなされていたものであり、被告人が確定判決に係る侵入具携帯行為につき5月30日警察官に現行犯逮捕され,引続き勾留のうえ大阪府阿倍野警察署において取調をうけていた当時、同署係官にも本件公訴事実に係る窃盗行為のあることを知られていながら、これについては、前記確定判決の判決確定後相当期間が経過した同年8月1日本件公訴事実を被疑事実とする同年7月26日付逮捕状によって逮捕されるまで、捜査官による被告人の取調がなされず、このため近時に至ってようやく本件公訴事実につき公訴提起されたものであることが認められる。
※ (4)は、余談です。侵入具携帯罪で逮捕された際、警察官は窃盗行為を知っていたのに、一緒に取り扱わなかったのは捜査機関のミスだ(事案に則して考えても、同時審判の可能性はあった)っていうことを第一審判決が根拠づけるために引用した事実です。
【裁判上の主張】
今回は、地裁判決と、高裁・最高裁判決の結論が分かれており、その対比にページを割こうと思いますので、弁護側の主張は見ません。
検察側は、経営者A所有の現金約10万7000円を窃取した行為について、常習累犯窃盗罪(「盗品等の防止及び処分に関する法律」3条)で起訴しました。
【訴訟の経過】
第一審は免訴し、控訴審は第一審を破棄して懲役刑を言い渡しました。
詳しく見てみます。
第1審判決(大阪地判昭和60・10・25)
主 文
被告人を免訴する。
理 由
(1)本事例(常習累犯窃盗と、窃盗とは別の機会になされた侵入具携帯罪との罪数関係が問題となっている事例)は、常習累犯窃盗と、窃盗とは別の機会になされた住居侵入罪との罪数関係を包括一罪とした昭和55年最高裁判決の論理の射程内か
「本件公訴事実に係る常習累犯窃盗行為(以下、単に窃盗行為という。)と右確定判決に係る軽犯罪法1条3号の侵入具携帯行為との罪数関係について考えるのに、盗犯等の防止及び処分に関する法律三条の常習累犯窃盗罪の立法趣旨に照らし、犯人が過去10年以内に3回以上窃盗罪等同種前科の刑執行を受け終わっているにも関わらず、更に常習として、一個又は数個の窃盗(又は同未遂)罪と窃盗目的の住居侵入罪を犯した場合、この住居侵入罪は右一個又は数個の窃盗(又は同未遂)罪とともに包括して一個の常習累犯窃盗罪のみを構成するのが相当というべく(最高裁判所第三小法廷昭和55年12月23日判決)、」
「さらに、軽犯罪法1条3号の侵入具携帯罪の立法趣旨は、当該侵入具携帯の行為が住居侵入・窃盗罪等のより重い犯罪に至る危険ありとして、その危険が未だ潜在的状態である間に阻止することを専ら目的とするものであって、右侵入具携帯罪は住居侵入罪が成立するときはこれに吸収されるべき性質のものと考えられ、本件においては、被告人が本件公訴事実に係る窃盗行為とともに、住居侵入・窃盗の目的で前記確定判決に係る侵入具携帯行為をしたものであるところ、以上の点を考合すれば、前記確定判決に係る侵入具携帯行為は、本来、本件公訴事実に係る窃盗行為とともに包括して盗犯等の防止及び処分に関する法律三条該当の常習累犯窃盗一罪を構成し、別罪として軽犯罪法1条3号の侵入具携帯罪を構成しないものと解するのが筋合である。」
(2)結論
「しかして、もともと右一罪の関係にある本件公訴事実に係る窃盗行為と前記確定判決に係る侵入具携帯行為のうち、後者につき、軽犯罪法一条三号違反罪(侵入具携帯罪)としてであれ、既に確定判決が存在するのであり、本件公訴事実に係る窃盗行為は右確定判決前の行為であるから、その確定判決の既判力は本件公訴事実にも及ぶものといわねばならない。従って、本件公訴事実については確定判決を経たものとして刑事訴訟法337条1号により被告人に対し免訴の言渡をすべきものである。」
※ 念のため補足。侵入具携帯罪と、常習累犯窃盗の関係を、仮にこの第一審判決のように包括一罪と考えると、すでに侵入具携帯罪で有罪の判決が確定している以上、常習累犯窃盗にも一事不再理効が及ぶため免訴すべきことになります。同じ一つの罪を二回処罰するわけにはいかないですからね。
※ 今回の事例は、(常習累犯)窃盗時に、侵入具を携帯していた行為が侵入具携帯罪に問われているわけではありません。そうではなく、常習累犯窃盗と、「日時も全く異なる機会になされた侵入具携帯罪」との関係が問題になっています。一見、一罪であるはずがないと思えそうです。しかし、常習累犯窃盗は、「常習」性を考慮し、重く処罰しているため、窃盗の為の侵入具を携帯するような行為も「常習」性の発現であり、常習累犯窃盗によって評価されつくしている、と考えうるのであれば、侵入具携帯罪は、常習累犯窃盗に吸収され、一罪となる、とも考えられることになるわけです。
※ この第1審判決の論法はもう少しだけ複雑です。最判昭和55・12・23は、常習累犯窃盗と、「日時も全く異なる機会になされた住居侵入罪」とは、一個の常習累犯窃盗罪のみを構成する、と判示しました。つまり、常習累犯窃盗罪は(異なる機会になされたものであっても)住居侵入罪を吸収しちゃうわけです。そして、侵入具携帯罪は、「(仮に成立したとすれば)住居侵入罪に吸収されるべき性質の犯罪」です。じゃあ、常習累犯窃盗は、当然に(異なる機会になされたものであっても)侵入具携帯罪を吸収しちゃうだろう。こんな感じの論法です。
控訴審判決(大阪高判昭和61・9・5)
主 文
原判決を破棄する。
被告人を懲役3年6カ月に処する。
原審における未決勾留日数中50日を右刑に算入する。
理 由
(1)本事例(常習累犯窃盗と、窃盗とは別の機会になされた侵入具携帯罪との罪数関係が問題となっている事例)は、常習累犯窃盗と、窃盗とは別の機会になされた住居侵入罪との罪数関係を包括一罪とした昭和55年最高裁判決の論理の射程内か
「思うに、原判決が掲記する最高裁判所の判決が、常習累犯窃盗の罪と窃盗の着手に至らない窃盗目的の住居侵入の罪とは、常習累犯窃盗の一罪の関係にあるとするのは、窃盗目的の住居侵入が窃盗の着手に至れば、結局、常習累犯窃盗の罪と一罪の関係になるのに、窃盗の着手に至らず、いわば予備的な段階にとどまるときは、常習累犯窃盗の罪とは別罪となって併合加重されるのは、刑の権衡を失し不合理であり、更にまた盗犯等の防止及び処分に関する法律の立法趣旨によると、同法三条は同法二条と同様に窃盗目的の住居侵入を構成要件に取り込んでいるものと解されることを理由とするものと考えられ、このような点を理由とする限り、当裁判所も右最高裁判所の見解に賛同するものである」
「が、原判決は右最高裁判所の見解を前提として、窃盗目的の住居侵入行為と住居侵入・窃盗目的の侵入具携帯行為とを同列に置き、住居侵入・窃盗目的の侵入具携帯罪と常習累犯窃盗罪とは包括して常習累犯窃盗一罪となる旨説示するので、まず、侵入具携帯罪と窃盗目的の住居侵入罪の罪数関係について検討することとする。軽犯罪法は、いまだ一般的な刑法犯にも至らない道徳律違反行為の色彩のある犯罪にして、社会的非難の度合も比較的軽度であるものの、公共の安寧の保護の見地から特に取締りの必要と認められる行為を処罰する趣旨の下に制定されたもので、同法一条三号の侵入具携帯罪は、住居に侵入するのに使用されるような器具を隠して携帯(以下、単に「携帯」という。)することが、住居侵入あるいは住居侵入の上での窃盗等の犯行に発展する危険性があるので、これらの犯罪の発生を未然に防止するため、このような器具の携帯行為を犯罪行為として処罰するものであって、携帯者が住居侵入の意思ないし目的を持っていたか否かを問わず、正当な理由のない侵入具の携帯行為自体を処罰の対象とする点において、抽象的危険犯であり、当該器具を現実に使用することを必要としないから、その意味においては単純な行為犯にすぎず、その保護法益も公共の安寧及び秩序という社会的法益である。これに対し、住居侵入罪は、単純行為犯の一種ではあるが、住居権者、管理権者の意思に反することが必要である点において具体的侵害犯であり、その保護法益は住居の平穏という個人法益である。」
「したがって、侵入具を携帯する者が、住居侵入に及んだ場合でも、住居侵入後においても携帯行為が継続している限りは、携帯者が次の住居侵入の目的を持っていると否とにかかわらず、なお次の住居侵入を犯す抽象的危険が存続し、その行為が処罰されるべき筋合のものである。以上の軽犯罪法の立法趣旨、両罪の罪質、保護法益の相異などの諸点を考え合わせてみると、侵入具携帯行為と住居侵入行為とは別個の行為とみるべきであり、侵入具を携帯する者が窃盗目的で住居に侵入した場合でも侵入具携帯罪が窃盗目的の住居侵入罪に包括的に評価され吸収されるものではなく、両罪が別個の犯罪として成立し、併合罪の関係に立つと解するのが相当である。」
(2)(第一審判決がとった住居侵入罪・昭和55年判決を間に挟む論法を前提とせず、)常習累犯窃盗の「常習」性は、窃盗とは別の機会になされた侵入具携帯罪についてまで評価しつくしているのか
「すすんで、侵入具携帯罪と常習累犯窃盗罪の罪数について考えてみるに、盗犯等の防止及び処分に関する法律三条の常習累犯窃盗罪は、同条所定の要件を具備する常習累犯者に対し、行為前の一定の前科を参酌し、常習性の発現と認められるすべての窃盗(同未遂)罪を包括して処罰することとし、これに対する刑罰を加重するものであり、前記最高裁判所判決は、個々の窃盗目的の住居侵入罪をも、これを個々の窃盗罪とともに集合的に常習累犯窃盗の一罪を形成するとするものであって、常習累犯窃盗罪は、実質的な法益侵害の発生を必要とする侵害犯であり、その保護法益も個人の財産の保護にあること、並びに前記軽氾罪法の立法趣旨、侵入具携帯罪の罪質及び保護法益などに照らすと、右両罪は別異の性格を有する犯罪であることが明らかであり、その罪数関係についても、侵入具携帯罪と住居侵入罪の関係についてさきに説示したところがすべて当てはまる」
「更にまた、常習累犯窃盗罪の常習性に関連して、窃盗目的の住居侵入と窃盗とは類型的な密着性を有するものであるから、窃盗目的の住居侵入を窃盗の常習性の発現として別の機会になされた窃盗行為と共に常習累犯窃盗の一罪を構成するということには、それなりに首肯し得るものがあるのであるが、侵入具携帯罪は、さきに説示したとおり住居侵入及び窃盗の目的の有無を問わず、すべての侵入具携帯行為自体を処罰の対象とする抽象的危険犯であって、侵入具携帯行為と住居侵入ないし窃盗とは必ずしも類型的な密着性を有するものではない以上、このような侵入具携帯行為をもつて窃盗の常習性の発現とみることはできないものであり、結局、侵入具携帯罪と常習累犯窃盗罪とは併合罪の関係にあると解するのが相当である。」
【判示内容】
主 文
本件上告を棄却する。
理 由
「所論にかんがみ、本件における盗犯等の防止及び処分に関する法律三条の常習累犯窃盗罪と軽犯罪法一条三号の侵入具携帯罪の罪数関係につき検討する。」
「機会を異にして犯された常習累犯窃盗と侵入具携帯の両罪は、たとえ侵入具携帯が常習性の発現と認められる窃盗を目的とするものであったとしても、併合罪の関係にあると解するのが相当であるから、これと同旨の原判決の結論は正当である。」
【コメント&他サイト紹介】
最高裁の、「たとえ侵入具携帯が常習性の発現と認められる窃盗を目的とするものであったとしても」という言葉は、「たとえ侵入具携帯が(通常の窃盗であれば当然に併合罪の関係に立つところ、通常の窃盗のみならず)常習性の発現と認められる窃盗を目的とするものであったとしても」と読めば、この一言は、常習累犯窃盗が問題となった今回のケースを客観的に表現したにすぎず、何らの意味も持たないことになります。事実そう読むべきようです。
「機会を異にして犯された」という部分も、「機会を異にして犯された住居侵入罪」については、昭和55年判決が、常習累犯窃盗と包括一罪と考えているわけですから、包括一罪を否定する理由づけになっているとは考えづらいため、これも特に意味はなく、これも今回のケースを客観的に表現しているだけです。
そうすると、本最高裁判決は、「常習累犯窃盗と侵入具携帯の両罪は、併合罪の関係にあると解するのが相当である」と言っているだけの判決ですので、罪質と保護法益を丁寧に比較検討している高裁判決の方がずっと見どころが多いはずです。
ただし、高裁の論理を徹底してしまうと、(常習累犯)窃盗と「同一の機会において犯された侵入具携帯罪」であっても、罪質と保護法益は異なるわけですから、常に併合罪として取り扱うべきことになる気がします(私見)。価値判断としてそれが妥当なのかは分かりませんが、自覚すべき点であると思います。