公共の危険の認識(最判昭和60・3・28、百選(第6版)87事件、百選(第7版)85事件)
[事実の概要]
―――事件の背景―――
被告人Xは、昭和54年に中学校を卒業して会社員として働いていた者、A及びBは、いずれも同55年に同校を卒業した者、Cは、同56年に同校を卒業してガソリンスタンドの従業員として働いていた者、E及びFは、いずれも本件当時、同校3年に在学していた者である。
被告人XとEは、その父親同士が友人であったため、幼い時からの知り合いであり、被告人XとC、E、Fは、いずれも遊び友達であつた。被告人Xは、かねてから右A、C、E及びFほか十数名の者とともに、同じ中学の同級生、先輩、後輩というつながりを利用して集団を形成し、Pと称して、夜間外出しては集団でたむろして遊んでいた。
被告人は、昭和54年7月ころ自動二輪車の運転免許を取得し、同年10月ころ、右集団中の被告人と同じ卒業年次の者達とともに自らその中心の一員となって、いわゆる暴走族集団であるRを結成し、順次、A、Cら後輩も暴走グループに加わり、神奈川県内の暴走族の集会に参加したりするようになった。
ところで、右集団内において、被告人の一年後輩にあたるAと同じ卒業年次の者達は、被告人ら先輩グループとの付き合いも悪かったため、その反感を買っていたところ、
Aらは、Aを中心に新たなグループを形成し、集団でオートバイを運転し、また、多数の仲間をAの自宅に集めるなどして、被告人らのRを凌ぐ勢いを示すようになった。
このような状況下で、前記被告人らRのグループにおいては、Aらのグループに反感を抱き、同年11月ころから、次第に「Aらのグループの単車を潰してしまおう。」などという話が出るようになり、同年12月31日には、FがAグループの一員に暴行を受けたことを聞き知るや右反感を爆発させた。
そこで、被告人、Cら数名は、深夜、Aを呼び出して暴力を振るい、同人を負傷させ、これにより、被告人らが検挙され、観護措置決定を受けたうえ、被告人は保護観察に付されたほか慰藉料などを支払わされる事となった。
更に、その後、被告人らが謹慎しているにもかかわらず、Aのグループが被告人らの目の前でも、平然とオートバイを走らせるようになったことから、右グループに対する反感をいっそう募らせていた。
―――犯罪事実―――
被告人は、昭和56年5月15日ころの午後11時ころ、Cほか一名と会った際、CからBが依然としてAと付き合っている模様であると聞き、その約一か月前に、被告人が直接Bから聞いていた、同人がAとは全然付き合っていないとの話と違っていることに立腹し、ここに、Bを含むAらのグループのオートバイを焼燬するなどして破壊しようと企て,そのころ、その場所で、Cに対し、「Aらの単車を潰せ。」「燃やせ。」「俺が許可する。」「Bの単車でもかまわない。」「皆に言っておけ。」などと言い、Cもこれを承諾した。
Cは、その後、同日及び翌16日の二度にわたり、Fほか計2名の者に対し、被告人Xの右文言を伝え、Fは、いずれもこれを承諾し、更に、同月19日、F及びEに対し、被告人の前記文言を伝えた上、「早くやれ」と言った。
E、Fは、拒めばリンチを受けるおそれもあると考えて、いずれもこれを承諾した。
そして、同月23日夜、Bのオートバイのガソリンタンクからガソリンを流出させ、これに点火して右オートバイを焼燬しようと謀議し、同月26日午前1時40分ころ、FとEがそれぞれライターを携えて、Fが(Bが居住する)G方一階応接間南側のガラス窓から約30cm離れた軒下に置かれた右B所有の自動二輪車(時価約41万円相当)のガソリンタンクのコツクレバーをプレーにしたうえ、ガソリンゴムホースを外し、同タンク内からガソリンを流出させてこれに所携のライターの火で点火し、右自動二輪車に火を放ち、よって、同車のサドルシートなどを順次炎上させて同車を焼燬し、前記G方家屋に延焼させて、公共の危険を生ぜしめた。
[裁判上の主張]
検察側は、
被告人X、C、F、Eは順次共謀しており、Xは他人所有建造物等以外放火罪(刑法110条1項)の共謀共同正犯にあたる、と主張した。
弁護側は、
建造物等以外放火罪は具体的公共危険罪であるところ、本件においては被告人Xに公共の危険発生についての認識がなかったものであるから、被告人について右放火罪は成立しない、等と主張した。
(後は、取り上げないが、員面調書や検面調書が任意性を欠き、証拠能力が無いという主張や、量刑不当の主張などである)
[訴訟経過]
第1審判決(東京地判昭和57・8・25):被告人を懲役1年6月以上3年以下に処する。
控訴審判決(東京高判昭和58・6・16):
原判決を破棄する。
被告人を懲役1年6月に処する。
第1審判決は、犯罪事実を認定し、法令を適用しているのみで、見るべきところはない。
控訴審判決は、
上記弁護側の主張(=公共の危険の認識がなかった)に対して、
「確かに、本件の場合被告人に公共の危険発生についての認識があつたか否かについては、これを積極に認むべき証拠はない。」
「しかし、そもそも刑法110条1項の建造物等以外放火罪の規定は、その文言上からも明らかなように、結果的責任を定めたものであつて、その成立には所論公共の危険発生についての認識は必要でないと解するのが相当であり、従ってこれが必要であるとする所論はその前提において失当であって、採用することができない。」
・・・として、主張を斥けた。
原判決を破棄した理由は、
「本件犯行の経緯にかんがみると、そもそも被告人が本件自動二輪車の消却を命じた時点において本件のような重大な結果の発生を予測していたものとは到底考えられないこと、本件は被告人がまだ18才に満たない少年時の犯行であること、被告人にはまだ前科がないこと、その他本件の共犯者らに対する処分(いずれも中等少年院送致)との均衡等被告人に有利な諸事情を斟酌すると、原判決の量刑は、その刑期(長期ならびに短期)の点において重きに失し不当であると考えられる。」
・・・というものであった。
[判示内容]
主 文
本件上告を棄却する。
理 由
上記弁護側の主張に対し、「なお」書きで、
「なお、刑法110条1項の放火罪が成立するためには、火を放って同条所定の物を焼燬する認識のあることが必要であるが、焼燬の結果公共の危険を発生させることまでを認識する必要はないものと解すべきであるから、これと同旨の見解に立ち、被告人に本件放火罪の共謀共同正犯の成立を認めた原判断は、記録に徴し正当として是認することができる。」
・・・とした。
[コメント&他サイト紹介]
本判決は、当然、「公共の危険」の認識が不要であることを明示した点に意義があります。
もっとも、本事案においては、谷口裁判官の意見にあるのですが、認識必要説に立ったとしても、共犯における錯誤の問題として処理することとなり、「本件においては、被告人としてもE及びFらの実行行為者においてB所有の単車に対する放火行為により「一般人をして延焼の危倶感を与えること」の認識を備えていたことが記録上肯認できる場合であるから、被告人においても110条1項の罪の共同正犯としての罪責を免れない」・・・といえるようです。
ちなみに、この谷口意見に立脚した場合の認識必要説からは、近くに建造物等があって、建造物等以外を直接の対象物として放火する場合の故意は、
① 「焼損」の認識だけある状態
② 「焼損」+「公共の危険」としての一般人に延焼の危惧感を与える旨の認識はあるけれど、近くの建物に延焼するまでの認識はない状態
③ 「焼損」+近くの建物に延焼する認識がある状態(=建物への放火に未必の故意が認められる状態)
・・・と分けて分析することになります。①なら、建造物等以外放火罪(110条)の未遂すら成立せず、器物損壊罪に問擬し、②なら、建造物等以外放火罪(110条)に問擬し、③なら、その延焼する建物次第で、108条か109条1項等に問擬することになるわけです。
②と③は、「当該建物に延焼する認識」があったかどうかですから、具体的事案において簡単に区別できるでしょう。しかし、①と②は、「焼損」の認識という概念のみですら幅のあり得る概念ですので、容易に区別はできず、説得力のある論証・認定は至難の業です。
このように考えますと、谷口意見の立場に立った分析はやめておいた方がよさそうです。
認識必要説に立たれる場合は、上記②の内容を「焼損」+「公共の危険」として、煙、有毒ガスや火力による火傷の危険が及びうる認識はあるけれど、近くの建物に延焼する認識はない場合と捉え、(「公共の危険」の内容は、延焼の危険に必ずしも限定されないという立場に立った上で、)「公共の危険」の内容を建造物等への延焼とそれ以外に分けて考えるという思考法がおススメです。こう考えると、①と②及び②と③をすっきり分けて認定できます。
まぁ、判例は認識不要説ですし、条文上は不要っぽく見えるため、認識不要説に立つのが無難であるとは思うのですけれどね。
他サイト様としましては、放火罪関連は、私の記事を紹介してばかりなのですが、
・・・を紹介させていただきます。