不作為による放火(最判昭和33・9・9、百選(第6版)5事件、百選(第7版)5事件)
【事実の概要】
(1) 被告人は昭和21年4月から中部電力株式会社(当時は中部配電株式会社)に入社し、昭和23年9月から岐阜県所在の同会社中津営業所に勤務し、最初営業統計事務を執り、次いで昭和28年9月から集金係の業務に従事していた。
(2) 昭和29年12月15日頃上司の業務主任Aより無断欠席、あるいは業務の渋滞なきよう種々叱責注意を受けたこともあり、また、近く同社多治見営業所から自己の関係業務につき指導に来る旨予定されていたので、同月20日午後5時頃から、未整理帳簿類の整理記帳等をなすべく右営業所事務室において残業していた。
(3) その残業中、同日午後11時過頃から同事務室において宿直員Bと共に約6合の酒を飲んだ上、やがてBは宿直室に就寝した。そこで被告人は、ひとり事務室内自席において、原符37000枚位をボール箱3個につめて、机下に保管してある、縦及び高さ約2尺5寸、横約3尺5寸の四脚木机1個の下へ、縦、横、高さ各1尺位の内側ブリキ張り木製火鉢1個に多量の木炭をついで股火鉢をしながら執務していた。
(4) 翌21日午前2時頃に至り、火鉢の炭火はよくおこっている中、先に飲んだ酒の為に気分悪く嘔吐感を覚えたので、右火鉢に大量の炭火が起り居り、その火鉢と傍の前記ボール箱の間は最短距離約4寸、机脚、脚横木へは最距離約6寸2分、机上側板へは最短距離約1尺2寸5分等の状態で、そのまま放任すれば右炭火の過熱により周囲の可燃物に引火の危険が多分にあり、又そのことは容易に予見し得たにかかわらず、何等これを顧慮せず、右火鉢を机外の安全場所に移すか、炭火を減弱せしめる等、その他容易に採り得る処置を為さず、不注意にもそのまま他に誰も居あわさない同所を離れ、同営業所内工務室において休憩仮睡した。
(5) 同日午前3時45分頃、右炭火の過熱から前記ボール箱に入っていた原符に引火し、更に自席の右机に延焼発燃しているのを、ふと仮睡から醒め自席にもどろうと事務室に入って発見したが、右失火は自己の重大な過失に基づくものであり、残業職員として当然消火すべき義務の存するところ、かつまた、みずから消火にあたり、あるいは宿直員B、C、Dを呼び起こし、その協力を得たならば、火勢消火設備の関係から容易に消火できたにもかかわらず、このまま放置すれば火勢は拡大して前記営業所建物に延焼、焼燬に至るべきことを認識しながら、自己の不注意の喚起した不慮の失火を目撃した驚きと、自己の失策の発覚を恐れるあまり、あるいは、右焼燬の結果発生あるべきことを認容しつつ、突嗟に自己のショルダーバッグを肩にかけ、そのまま同営業所玄関より表に出て何等の処置をなさず同所を立ち去った。
(6) 火はそのまま燃え広がって、同日午前4時過ぎ頃に、前記宿直員等の現在する木造瓦葺平家建、建坪143坪5合5勺の中部電力株式会社中津営業所建物一棟を全焼せしめたほか、その頃これに隣接するEの現在居家屋一棟(建坪延112坪2合)を全焼、Fの現住居家屋一棟(建坪延120坪)と、現住居家屋(建坪延28坪)を各全焼、三菱電機株式会社所有,現住居家屋(建坪111坪9合)を全焼、Gの非現住、非住居家屋(建坪75坪)と、倉庫兼現住居家屋(建坪24坪)を各全焼、Hの現住居家屋一棟(建坪延23坪)を全焼、Iの現住居家屋一棟(建坪50坪)を半焼して焼燬した。
※ (6)は、「隣接する家屋等多数の建物が全焼もしくは半焼した」で済む話ですが、こちらの方が、被害がより生々しく伝わるだろうと思い、このように表現しました。
【裁判上の主張】
検察側は、被告人の行為は、不作為による現住建造物等放火罪(刑法108条)に該当する、と主張した。
弁護側は、
(1)被告人は、当日は、建物の維持・管理に責任を負っている宿直員ではなかった上、被告人のほかに、本来責任を果たすべき宿直員がいたため、被告人に作為義務は認められない(高裁までの主張)、
(2)大審院判例(大判大正7・12・18、大判昭和13・3・11)は、不真正不作為犯としての放火罪成立の主観的要件として、客観的構成要件要素の故意以外に、「既発の火力を利用する意思」、「その危険を利用する意思」といった形の特殊な意思の存在を必要としているが、被告人にはそのような故意はなく、原判決は上記判例に反する(上告理由)
・・・と主張した。
【訴訟の経過】
第一審判決(岐阜地判昭和31・4・20)
主 文
被告人を懲役3年に処する。
訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理 由
「法律に照らすと被告人の判示所為は刑法第108条に該当するところ、所定刑中有期懲役刑を選択し、犯罪の情状憫諒すべきものがあるから、同法第66条、第71条、第68条3号に則り酌量減軽した刑期範囲内で被告人を懲役3年に処する」
控訴審判決(名古屋高判昭和31・10・4)
主 文
本件控訴を棄却する。
理 由
弁護側の主張(1)(=被告人は悪くない。宿直員が悪い)に対して、
「原判示挙示の証拠を総合すると、優に原判示のとおり被告人の重大な過失により炭火の過熱が因でボール箱に入っていた原符に引火、更にその自席の木机に延焼したこと及び被告人が仮睡から醒め、これを発見したときにはまだ充分これを消し止め得る状態にあったことが確認できるのであるから、被告人としては当然そのとき右を消し止め、少なくともこれに全力を尽すべき法律上の義務があったものというべきで、このことは所論のように当夜被告人が宿直員であったかどうか,又は当夜の正規の宿直員が他に居合わせたかどうかにかかわりがないのである。そして被告人はその際そのまま事態を放置すれば火勢が急速に拡大し、よって営業所の建物はもとよりこれに隣接する諸建物まで延焼、焼燬するに至るべきことを気付きながら、これを容認する心意のもとに、何ら適当の処置をしないで漫然と現場を逃げ出し、よって原判示のような焼燬の結果を発生させたことが確認されるのであるから、被告人がその消火義務に違背した不作為に基づく焼燬につき放火罪の刑責を負うべきことは多言を要しない。」
・・・と一蹴した。
【判示内容】
主 文
本件上告を棄却する。
当審における訴訟費用は被告人の負担とする。
理 由
弁護側の主張(2)(=不作為による放火が認められる為には、故意のみならず、既存の危険を利用する特殊な意思が必要であるはずで、被告人にはその特殊な意思は認められない)に対して、
「原判決が是認した第一審判決の認定事実のうち、被告人が判示日時判示営業所事務室内自席の判示木机一個の下に、右机と判示原符37000枚位をつめたボール箱三個との距離が判示のとおり接近している位置に、大量の炭火がよくおこっている判示木製火鉢をおき、そのまま放任すれば右炭火の過熱により周囲の可燃物に引火する危険が多分にある状態であることを容易に予見しえたにかかわらず、何等これを顧慮せず、右炭火を机の外の安全場所に移すとか、炭火を減弱させる等その他容易に採りうる引火防止処置を採らず、そのまま他に誰も居合わさない同所を離れ同営業所内工務室において休憩仮睡した結果、右炭火の過熱から前記ボール箱に入っていた原符に引火し更に右木机に延焼発燃したという事実は、被告人の重大な過失によって右原符と木机との延焼という結果が発生したものというべきである。」
「この場合、被告人は自己の過失行為により右物件を燃焼させた者(また、残業職員)として、これを消火するのは勿論、右物件の燃焼をそのまま放置すればその火勢が右物件の存する右建物にも燃え移りこれを焼燬するに至るべきことを認めた場合には建物に燃え移らないようこれを消火すべき義務あるものといわなければならない。」
「第一審判決認定事実によれば、被告人はふと右仮睡から醒め右事務室に入ってきて、右炭火からボール箱に入っていた原符に引火し木机に延焼しているのを発見したところ、その際被告人が自ら消火に当りあるいは判示宿直員三名を呼び起こしその協力をえるなら火勢、消火設備の関係から容易に消火しうる状態であったのに、そのまま放置すれば火勢は拡大して判示営業所建物に延焼しこれを焼燬するに至るべきことを認識しながら自己の失策の発覚のおそれなどのため、あるいは右建物が焼燬すべきことを認容しつつそのまま同営業所玄関より表に出で何等建物への延焼防止処置をなさず同所を立ち去った結果、右発燃火は燃え拡がって右宿直員らの現在する営業所建物一棟ほか現住家屋六棟等を焼燬した、というのである。」
「すなわち、被告人は自己の過失により右原符、木机等の物件が焼燬されつつあるのを現場において目撃しながら、その既発の火力により右建物が焼燬せられるべきことを認容する意思をもってあえて被告人の義務である必要かつ容易な消火措置をとらない不作為により建物についての放火行為をなし、よってこれを焼燬したものであるということができる。されば結局これと同趣旨により右所為を刑法108条の放火罪に当たるとした原判示は相当であり、引用の大審院判例の趣旨も本判決の趣旨と相容れないものではなく、原判決には右判例に違反するところはない。論旨は理由がない。」
【コメント&他サイト紹介】
大して長くなかったので、最高裁判決は、ほとんど引っ張ってきました。
結局、本判例は、「その既発の火力により右建物が焼燬せられるべきことを認容する意思をもって」と判示しており、「既発の火力を利用する意思」のような特殊な意思は必要ない、としたわけですね。つまり、不作為犯の場合も、作為犯と同様、焼損の未必的故意さえあれば足りるわけです。
ちなみに、「引用の大審院判例の趣旨も本判決の趣旨と相容れないものではなく」という部分は、学者も「?」と首をひねる部分みたいです。
一つの説明としては、「もともと、大審院の判例が、「既存の火力を利用する意思」を故意とは別個の要件としていたかどうかも、明らかではないように思われる。大審院の判例に、このような意思がないとして不真正不作為犯を否定したものは一つもないし、不作為の殺人においては、特にこのような主観的要件に言及していないからである」(佐伯仁志「保証人的地位の発生根拠について」香川達夫博士古稀祝賀『刑事法学の課題と展望』116頁)と言われているようです。簡単にいえば、大審院判例において(要件としては認容で足りるのに、今回のケースはもっと悪いんだぞって事を一言で示すために)「既存の火力を利用する意思」という表現は使われていたにすぎず、要件ではなかったんじゃないの、ということです。
不作為犯論全体との関係において、より重要な事は、本件のような、自らの重大な落ち度で失火し、消火の可能性・容易性があり、ほかにすぐ消火できる人もいなくて、焼損の認容もあるケースでは、もはや失火罪(刑法116条、117条の2)にとどまることなく、不作為による放火罪が肯定されている、という結論ですね。そもそも、不真正不作為犯が判例上登場するケースは、ほとんど殺人、放火、詐欺ですから、「不作為による放火」がありうることは、必ず押さえておくべきポイントです。