レペタ訴訟(最判平成1・3・8、百選79事件)
[事実の概要]
―――東京地方裁判所公判―――
ふむふむ興味深いデース
あ、裁判長メモとってもイイデスネ?
(裁判長)
ダメ
アリガト・・・what!?
(報道機関)
メモとってもいいですか?
(裁判長)
もちろんだよ(ニコッ
Oh…
ローレンス・レペタ氏は、アメリカワシントン州弁護士資格を有しており、経済法特に日本及びアメリカの国際間の経済問題に対する法制度を研究し、各種論文を発表してきた。
その研究の一環として、東京地方裁判所における所得税法違反被告事件(いわゆる誠備事件)を研究し、その公判を傍聴していた。
原告は、本件事件の公判傍聴に際して、傍聴席においてメモを取ることを希望し、公判期日に先立ち、メモの許可申請をしたが、裁判長からいずれも拒否の決定を受けた。
結局、原告は、ほぼすべての公判期日の公判を傍聴したが、いずれの公判期日においてもメモを取ることが許されなかった。
なお、その公判においては、司法記者クラブ所属の記者に対して法廷においてメモを取ることを裁判長は許可していた。
[裁判上の主張]
国は、私に対して130万円と利息を払ってね!
仮執行もつけてね!
本件は国家賠償法1条1項に基づく国家賠償訴訟である。
請求は、要約すると、裁判長のメモ不許可という違法な措置により、「公判期日におけるメモ採取の憲法上の権利が侵害され」、公判内容を充分に記録することができないことから、研究を阻害され、多大な精神的苦痛を被った。この「損害」を金銭で評価すれば、少なくとも100万円は下らない。また、弁護士費用のうち少なくとも30万円は、本件決定と相当因果関係に立つ「損害」である・・・という内容である。
裁判長のメモ不許可が違法である点の法律構成としては、
① 憲法21条及び国際人権規約B規約19条違反(メモを取る権利は、法廷を傍聴する権利に含まれ、それは憲法21条の保障する知る権利に含まれる、また、国際人権規約B規約によって保障される表現の自由は、メモ権も含む。)
② 憲法82条違反(メモを取る権利は、法廷を傍聴する権利に含まれ、それは憲法82条によって保障されている)
③ 憲法14条違反(本件事件の公判傍聴において、裁判所は、司法記者クラブ所属の報道機関には無条件でメモを取ることを許しながら、原告に対しては、本件各処分を行い、メモを取ることを禁止したものであり、この区別取扱いには何らの合理的根拠もない)
・・・という構成であった。
[訴訟経過]
第1審判決(東京地判昭和62・2・12):請求棄却
控訴審判決(東京高判昭和62・12・25):控訴棄却
第1審は、
原告の①の主張に対して、
法廷を傍聴する権利は、現行の法体制においては、憲法82条が裁判の公開を制度として義務付けている結果として、「裁判を傍聴することによって、裁判の内容を実際に見聞するという最も直接的な形で裁判の内容を認識する機会が保障されている」。本件原告もこの権利を完全に享受していた。これによって、憲法21条の要請は、必要かつ十分に充足されている。
そして、「法廷におけるメモ行為は、右のような五官の作用による裁判内容の認識行為自体とはやや性格を異にし、認識した内容の一部をその場でノート等に記録することにより、右認識内容を記憶し、のちにこれを表現する際の精度を高めるための補充行為と言うべきものであり、かつ、右行為自体が公正な裁判の運営に影響を及ぼす可能性を内在している」ため、
このような裁判内容を認識する際の補充行為まで当然に憲法上保障されていると認めることはできない。この理屈は国際人権規約B規約についても同様である。
・・・とした。
原告の②の主張に対して、
「憲法八二条に規定された裁判の公開とは、その立法趣旨や条文の位置、文言に照らしても、裁判の対審及び判決については、不特定かつ相当数の者が自由に裁判を傍聴し得る状態において行わなければならない旨をその内容とする制度的保障にすぎず、その結果、裁判の傍聴を希望する者が法廷の物理的設備の許す限度において、自由に法廷に出入りして自ら直接法廷で行われている手続を見聞することが許されるのは、少なくとも憲法八二条との関係では、制度的保障の効果に基づく反射的な利益を享受しているにすぎないものと言わざるを得ないから、結局、右憲法八二条を個々具体的な私権の発生原因とすることはできない」
原告の③の主張に対して、
「原告主張のメモ権は現行法規上は権利性を持たず、傍聴人によるメモ採取の許否の判断については、法廷警察権を有する裁判長の合理的な裁量にゆだねられている。」
「一般に、報道機関による裁判に関する報道については、国民一般の裁判の内容を認識する自由に奉仕するものとして一定の尊重を受ける必要があることから、本件においても、右のような意味での報道の自由及び報道の公共性を優先させて、司法記者クラブ所属の報道機関には、法廷を傍聴するに際してメモを取ることを許した。」
「結果的には、原告に対してはメモを取ることを禁止しながら、報道機関に対してはメモを取ることを許可する取扱いをしたとしても右取扱いは、合理的な理由に基づくものというべきであって、何ら違法ではない」
・・・と判断した。
[判示内容]
主 文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理 由
(1)原告の主張②について
「憲法八二条一項の規定は、裁判の対審及び判決が公開の法廷で行われるべきことを定めているが、その趣旨は、裁判を一般に公開して裁判が公正に行われることを制度として保障し、ひいては裁判に対する国民の信頼を確保しようとすることにある。」
「裁判の公開が制度として保障されていることに伴い、各人は、裁判を傍聴することができることとなるが、右規定は、各人が裁判所に対して傍聴することを権利として要求できることまでを認めたものでないことはもとより、傍聴人に対して法廷においてメモを取ることを権利として保障しているものでないことも、いうまでもないところである。」
(2)原告の主張①について
「憲法二一条一項の規定は、表現の自由を保障している。そうして、各人が自由にさまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取する機会をもつことは、その者が個人として自己の思想及び人格を形成、発展させ、社会生活の中にこれを反映させていく上において欠くことのできないものであり、民主主義社会における思想及び情報の自由な伝達、交流の確保という基本的原理を真に実効あるものたらしめるためにも必要であって、このような情報等に接し、これを摂取する自由は、右規定の趣旨、目的から、いわばその派生原理として当然に導かれるところである。市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「人権規約」という。)一九条二項の規定も、同様の趣旨にほかならない。」
「筆記行為は、一般的には人の生活活動の一つであり、生活のさまざまな場面において行われ、極めて広い範囲に及んでいるから、そのすべてが憲法の保障する自由に関係するものということはできないが、さまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取することを補助するものとしてなされる限り、筆記行為の自由は、憲法二一条一項の規定の精神に照らして尊重されるべきであるといわなければならない。」「裁判の公開が制度として保障されていることに伴い、傍聴人は法廷における裁判を見聞することができるのであるから、傍聴人が法廷においてメモを取ることは、その見聞する裁判を認識、記憶するためになされるものである限り、尊重に値し、故なく妨げられてはならないものというべきである」
「もっとも、情報等の摂取を補助するためにする筆記行為の自由といえども、他者の人権と衝突する場合にはそれとの調整を図る上において、又はこれに優越する公共の利益が存在する場合にはそれを確保する必要から、一定の合理的制限を受けることがあることはやむを得ないところである。しかも、右の筆記行為の自由は、憲法二一条一項の規定によって直接保障されている表現の自由そのものとは異なるものであるから、その制限又は禁止には、表現の自由に制約を加える場合に一般に必要とされる厳格な基準が要求されるものではないというべきである。」
「公正かつ円滑な訴訟の運営は、傍聴人がメモを取ることに比べれば、はるかに優越する法益であることは多言を要しないところである。してみれば、そのメモを取る行為がいささかでも法廷における公正かつ円滑な訴訟の運営を妨げる場合には、それが制限又は禁止されるべきことは当然であるというべきである。」
「しかしながら、それにもかかわらず、傍聴人のメモを取る行為が公正かつ円滑な訴訟の運営を妨げるに至ることは、通常はあり得ないのであって、特段の事情のない限り、これを傍聴人の自由に任せるべきであり、それが憲法二一条一項の規定の精神に合致するものということができる。」
(3)原告の主張③について
「憲法一四条一項の規定は、各人に対し絶対的な平等を保障したものではなく、合理的理由なくして差別することを禁止する趣旨であって、それぞれの事実上の差異に相応して法的取扱いを区別することは、その区別が合理性を有する限り、何ら右規定に違反するものではないと解すべきであるとともに、報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供するものであつて、事実の報道の自由は、表現の自由を定めた憲法二一条一項の規定の保障の下にあることはいうまでもなく、このような報道機関の報道が正しい内容をもつためには、報道のための取材の自由も、憲法二一条の規定の精神に照らし、十分尊重に値するものである。」
「そうであってみれば、以上の趣旨が法廷警察権の行使に当たって配慮されることがあっても、裁判の報道の重要性に照らせば当然であり、報道の公共性、ひいては報道のための取材の自由に対する配慮に基づき、司法記者クラブ所属の報道機関の記者に対してのみ法廷においてメモを取ることを許可することも、合理性を欠く措置ということはできない」
・・・として、主張①以外は一蹴した。
(4)訴訟物に対する結論
主張①に関する(2)の判示内容(=メモを取ることは、尊重に値し、故なく妨げられてはならない)を前提としても、本件は国賠訴訟であり、また、裁判長に広汎な法定警察権に基づく裁量が認められていることから、裁判長の行為が「違法な公権力の行使」というためには、「法定警察権の目的、範囲を著しく逸脱し、又はその方法が甚だしく不当であるなどの特段の事情」が必要という基準を立て、
「本件裁判長が法廷警察権に基づき傍聴人に対してあらかじめ一般的にメモを取ることを禁止した上、上告人に対しこれを許可しなかった措置は、これを妥当なものとして積極的に肯認し得る事由を見出すことができない。上告人がメモを取ることが、法廷内の秩序や静穏を乱したり、審理、裁判の場にふさわしくない雰囲気を醸し出したり、あるいは証人、被告人に不当な影響を与えたりするなど公正かつ円滑な訴訟の運営の妨げとなるおそれがあつたとはいえないのであるから、本件措置は、合理的根拠を欠いた法廷警察権の行使であるというべきである。」
・・・と認定し、
「裁判所としては、今日においては、傍聴人のメモに関し配慮を欠くに至っていることを率直に認め、今後は、傍聴人のメモを取る行為に対し配慮をすることが要請されることを認めなければならない。」
・・・としたものの、
「本件措置が執られた当時には、法廷警察権に基づき傍聴人がメモを取ることを一般的に禁止して開廷するのが相当であるとの見解も広く採用され、相当数の裁判所において同様の措置が執られていたことは前示のとおりであり、本件措置には前示のような特段の事情があるとまではいえないから、本件措置が配慮を欠いていたことが認められるにもかかわらず、これが国家賠償法一条一項の規定にいう違法な公権力の行使に当たるとまでは、断ずることはできない。」
・・・と結論付けた。
あくまで本件は、国賠訴訟であるということを念頭においておく必要がある。
[コメント&他サイト紹介]
レペタ訴訟という事件名ですし、原告の名前をそのまま出してみました。
他サイト様ですが、
http://ameblo.jp/ive-vani-love/entry-11472197860.html
・・・この記事は、「尊重に値する」と「十分尊重に値する」では、保障の度合いが異なるということを指摘されている点で、見るべきところがあるはずです。本判例でも「情報等の摂取を補助するためにする筆記行為の自由」に対するものとして前者が、「報道のための取材の自由」に対するものとして後者が登場していますね。
現在のレペタ先生(明治大学特任教授)がメモについて語っている
http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20130704-00026182/
・・・この記事は、かなり面白いですね。