窃盗と占有離脱物横領(最判昭和32・11・8、百選(第6版)27事件、百選(第7版)掲載なし)
[事実の概要]
第一に、被告人Xは、昭和31年9月30日午前11時50分頃、甲府市にあるB交通株式会社バス待合室南通路において,AがB会社所有の社員寄宿舎建物の土台コンクリートの上に置いたAの所有するアイレスフレックス写真機1台時価2万円相当を窃取し、
第二に、昭和31年10月7日午後4時43分頃甲府駅第二番線上りホームにおいて、Cのズボンの右後ポケットから金品を窃取しようとしたが、警戒中の警察官に発見されてその目的を遂げなかった。
なお、第一の窃取における具体的状況としては、
(事実①)写真機は当日昇仙峡行のバスに乗るため行列していたAがバスを待つ間に身辺の左約30cmの個所に置いたものであって、Aは行列の移動に連れて改札口の方に進んだが、改札口の手前約3~4mの所に来たとき写真機を置き忘れたことに気がつき直ちに引き返したところ、既にその場から持ち去られていた。
(事実②)行列が動き始めてからその場所に引き返すまでの時間は約5分位であり、かつ、写真機を置いた場所とAが引き返した点との距離は約19.58mであった。
(事実③)また当日は、日曜日の為バスの乗客が多く、特にAも乗る予定であった昇仙峡行のバスの乗客の列はバス待合室の建物内に収容しきれず右建物の外にも長く行列を作っていた状況にあり,被告人が右写真機が判示個所に置かれているのを認め、これを領得したときにおいても昇仙峡行のバスの行列の末尾はバス駐車場の空地からバス待合室の建物への入口に達していた。そして右行列の末尾と写真機との距離は約8.6mであった。
※判例百選等に出てくるのは、第一の実行行為のみですが、公判上は第一の行為と第二の行為2つまとめて処理されています。1週間またいですぐ別の窃盗をしている事から、何度も窃盗を繰り返している事が推測できますね。(裁判上、あるいは論文試験上はこんな推測してはいけませんが、一般論の話です)
※第一の行為についての事実①~③は、全て控訴審判決が評価に使った事情です。どのように評価するのか想像しながら見てみると、勉強になる気がいたします。
[裁判上の主張]
検察側は、
第一の行為は窃盗罪(刑法235条)、第二の行為は窃盗未遂罪(刑法235条、243条)にあたると主張した。
弁護側は、第一の行為について、
(1) カメラは既に被害者Aの実力的支配下にはなかったため、窃盗罪ではなく、より罪の軽い占有離脱物横領罪が成立するはず。
(2) 仮に、客観面において窃盗罪の構成要件に該当するとしても、被告人はこれを遺失物と誤信していたのであり、窃盗罪の故意がないから、窃盗罪は成立しない。
・・・と主張した。
[訴訟経過]
第1審判決(甲府簡判昭和32・2・26):被告人を懲役一年に処する
控訴審判決(東京高判昭和32・6・29):本件控訴を棄却する
第1審判決は、事案を処理しただけであって、見るべきところはない。
控訴審判決は、
弁護側の(1)の主張(=既にカメラには被害者の占有が及んでいなかった)に対して、
事実①と事実②をもちだし、
「写真機を置き忘れたことに気がつき直ちに引き返したところ、既にその場から持ち去られていたものであり、行列が動き始めてからその場所に引き返すまでの時間は約5分位に過ぎないもので、且つ、写真機を置いた場所とAが引き返した点との距離は約19.58mに過ぎないことが認められる。かかる状況の下においては右写真機は依然としてAの実力的支配のうちにあったものと認めるのが相当であり、未だ以て同人の占有を離脱した状況にあったものとは認められない。」・・・とした。
また、弁護側の(2)の主張(=窃盗罪の故意がない)に対しては、
事実③をもちだし、
「右行列の末尾と写真機との距離は約8.6mに過ぎないのであるから、当時右写真機はバス乗客中の何人かが一時その場所においた所持品であることは何人にも明らかに認識しうる状況にあったものと認められるのであって、被告人がこれを遺失物と思ったとの弁解は措信し難い。」・・・とした。
[判示内容]
主 文
本件上告を棄却する。
理 由
まず一般論として、
「刑法上の占有は人が物を実力的に支配する関係であって、その支配の態様は物の形状その他の具体的事情によって一様ではないが、必ずしも物の現実の所持又は監視を必要とするものではなく、物が占有者の支配力の及ぶ場所に存在するを以て足りると解すべきである。しかして、その物がなお占有者の支配内にあるというを得るか否かは通常人ならば何人も首肯するであろうところの社会通念によって決するの外はない。」
・・・と述べた上で、
弁護側の(1)の主張に対して、
「原判決が本件第一審判決挙示の証拠によって説示したような具体的状況(本件写真機は当日昇仙峡行のバスに乗るため行列していた被害者がバスを待つ間に身辺の左約30cmの判示個所に置いたものであつて、同人は行列の移動に連れて改札口の方に進んだが、改札口の手前約2間(3.66m)の所に来たとき、写真機を置き忘れたことに気がつき直ちに引き返したところ、既にその場から持ち去られていたものであり、行列が動き始めてからその場所に引き返すまでの時間は約5分に過ぎないもので、且つ写真機を置いた場所と被害者が引き返した点との距離は約19・58mに過ぎないと認められる)を客観的に考察すれば、原判決が右写真機はなお被害者の実力的支配のうちにあつたもので、未だ同人の占有を離脱したものとは認められないと判断したことは正当である。」
弁護側の(2)の主張に対して、
「原判決が、当時右写真機はバス乗客中の何人かが一時その場所においた所持品であることは何人にも明らかに認識しうる状況にあったものと認め、被告人がこれを遺失物と思ったという弁解を措信し難いとした点も、正当であって所論の違法は認められない。」
・・・として、完全に原判決の認定・評価をそのまま維持した。
[コメント&他サイト紹介]
このように判例は、支配力の限界について、「通常人ならば何人も首肯するであろうところの社会通念によって決する」という(あまり基準とも呼べないような)基準を立てています。
松尾先生の面白いご指摘としましては、「占有存否の判断は、基本的に行為者による領得が行われた時点においてなされるべき」であるから、本判決が事実②に関して、「行列が動き始めてからその場所に引き返すまでの時間は約5分に過ぎないもので、且つ写真機を置いた場所と被害者が引き返した点との距離は約19.58mに過ぎないと認められる」と認定したのは、「被告人の持ち去り時点を最大限有利に遅く解したとしても被害者の占有は否定されない」という意味と読み替えるべきというものです。
つまり、素直に読めば、約5分というのは、「被害者がカメラから離れていた時間」、約19.58mというのは、「被害者がカメラから最大限離れていた距離」を意味するのですが、上述のように占有存否の判断は、基本的に「行為者による領得行為の時点」を基準として評価すべきなので、「時間」はそれ自体として意味を持たないし、「距離」は、「領得行為の時点において、被害者とカメラがどの程度離れていたか」がポイントになるのであって、「被害者とカメラが最大限離れていた距離」はそれ自体として意味を持たないのです。
しかし、「領得行為時において、被害者カメラがどの程度離れていたか」について、領得行為の正確な時点及びその時点における被害者の位置が明確ではないため、具体的に割り出せない場合は多いです。本件もそうですよね。
そんな場合に、「被害者がカメラから離れていた時間」や「被害者がカメラから最大限離れていた距離」は、「領得行為時において最大限どの程度被害者とカメラが時間的・場所的に離れていたか」を割り出す重要な資料となるのです。そして、もしその最大限離れていた場合ですら占有を肯定できるのだとしたら、本当の「領得行為時における、被害者とカメラの距離・離れていた時間」を認定しなくとも占有を肯定できますよね。
松尾先生は、「占有存否の判断は、基本的に行為者による領得が行われた時点においてなされるべき」という前提に立ち、判例はこのような思考過程を辿ったはずだ(=このように解してのみ判例の事実評価は正当化される)とおっしゃっておられるわけです。
他サイト様としては、
本判例や論点に直接関係するサイトはありませんでしたが、
http://www.geocities.jp/passshihuoshiken/kojt3.htm
・・・本論点にかかわる旧司法試験の口述試験の再現を見つけました。佐久間先生は、優しい部類の主査のようですね。